かつての大迫では、雛祭りは旧暦(現在の4月)に祝っていたことから、すぐに五月の節句がくることもあり、一緒に飾ったのではないかと言われています。
(人形の出し入れが面倒だったためというお話も…)
大迫町では節句の時期に合わせ、あねっこ市(まち)が開かれ、以前は農閑期で手の空いた農家の娘さんたちが着飾って市に出掛けたといいます。あねっこ(娘さん)とあんこ(男性)が出会う数少ないお見合いの場になっていたようです。
市にあわせて商人も各地から集まり、雛人形や節句用具などが売られていました。南部葉たばこや製糸業で栄えた町だったことから、贅沢品ともいえる雛人形が売れる土地柄だったのでしょう。多くの雛人形が残っている理由としてうなずけます。
町の子どもたちも「お雛様お見しぇってくなんせ」と言いながら、各家々を回ってお菓子をもらい、着物の袂に入れて歩く姿も見られたそうです。
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